ewl

ワルキューレ

ワルキューレ

TaktOp(タクトオーパス)の登場キャラクター「ワルキューレ」について解説する。

基本情報

楽曲
楽劇「ワルキューレ」
声優
上坂 すみれ(うえさか すみれ)
フレーバーテキスト
戦乙女。翼を持った女神。戦場に咲く華ともいわれる。すごく真面目だが、頑固。思慮深く、常に任務最優先で物事を考えている。そのためか、直情的で突撃思考な木星とはたびたび意見を衝突させてしまう。

元ネタ

オペラ「ワルキューレ」とは

ワルキューレはリヒャルト・ワーグナーが1856年に作曲したオペラ(=楽劇)。1870年6月26日、バイエルン宮廷歌劇場にて初めてお披露目された。ワーグナーの代表作である「ニーベルングの指環」4部作の2作目にあたる作品。ジークフリート誕生まで物語を描いており、ワーグナーの作品の中でも屈指の人気を誇る。4部作の内訳は以下の通り。

・序夜「ラインの黄金」

・第1日「ワルキューレ」

・第2日「ジークフリート」

・第3日「神々の黄昏」

ちなみに「ニーベルングの指環」はドイツ神話のニーベルンゲンの歌に由来している。

オペラの内容

ワルキューレは全3幕から構成される。

第1幕「館の内部」

低音の激しいリズムとともにジークムントが嵐の中を逃走する。トランペットが稲妻のようにきらめき、ティンパニの雷鳴が轟くと、幕が上がる。戦いに傷つき嵐の中を逃れてきたジークムントはある館にたどり着く。館主の妻はジークムントに水を与え、二人は強くひかれあった。館主が帰宅し、妻とジークムントの間の情に気付いた館主はジークムントに決闘を申し込む。館主の妻は館主に眠り薬を飲ませ、ジークムントを逃がそうとする。ジークムントは館主の妻と話すうちに自分たちが兄弟であることを知り、2人で逃亡しようと持ち掛ける。ジークムントは「冬の嵐は過ぎ去り」という歌を歌い、トネリコの木に突き立てられ、誰も引き抜いたことのない剣を引き抜き、2人は逃亡し幕が閉じる。

第2幕「荒涼とした岩山」

神々の長であるヴォータン(北欧神話のオーディン)は不倫、近親相姦の罪でジークムントを殺すようワルキューレ(=戦場の戦死者を選ぶ半神半人の女)である娘ブリュンヒルデに命じる。その後、館主の妻は幻覚にとらわれ気を失い、館主の妻を介抱するジークムントの前に、ブリュンヒルデが姿を現す。ブリュンヒルデはジークムントが館主との戦いで死ぬことを告げた。しかし、ジークムントは館主の妻と離れ離れになるくらいなら、いっそのこと2人で死のうと剣を振り上げ自死しようとする。これを見て心を打たれたブリュンヒルデは、神々の長ヴォータンの命に背いてジークムントを救うことを決心し、彼を止める。やがて館主が角笛を吹いて現れ雷鳴轟く嵐の中ジークムントとの一騎打ちが始まる。ブリュンヒルデはジークムントに加勢するが、ヴォータンが現れジークムントの剣を砕き、武器を失ったジークムントは館主の槍に刺されて絶命する。

第3幕「岩山の頂き」

ブリュンヒルデは館主の妻を愛馬に乗せて連れ去る。仲間のワルキューレたちがブリュンヒルデの元に集まってきた。館主の妻も目を覚まし、ジークムントの死を知って絶望する。殺してくれと頼む館主の妻だが、ブリュンヒルデは館主の妻が子供を身ごもっていることを告げ、生きるように説得する。館主の妻は礼を言って離れていき、ブリュンヒルデの元にはなやがてヴォータンが現れた。ヴォータンは命令に背いたブリュンヒルデの神性を奪い、岩山に倒し、周りを炎で取り囲んだ。——時代は過ぎ、館主の妻が子供を産んだ。ジークフリートと名付けられた。

イラストレーションノベル

ワルキューレのイラスレーションノベル

「メリークリスマス」は、愛し、愛される者にのみ許された言葉だ。暖かい家で、心を許し合った家族や仲間と交わす、深い絆を前提とした言葉。だから、きっと私には似合わない。 冬のベルリンの空は、低く、重い。今日はとりわけ湿度が高く、今にも降り出しそうな気配だった。荒れ果てたベルリン市街。こうして地上に立つと、いかに人類がD2に対し、なすすべのない戦いを強いられてきたかがわかる。満足に営業している店などなく、ボロ布を屋根代わりにした露店が精々。横倒しになった車が道をふさぎ、崩れた民家の庭先には焼け焦げたベビーカーが転がっていた。かつてのベルリンなら、今頃クリスマスマーケットで大変な賑わいだったはずだ。道には人が溢れ、肉汁たっぷりのブルストにかぶりつき、競うようにビールジョッキを空にする姿があちこちで見られたと聞いている。だが、今はただ、肌にまとわりつくような、不快な風が吹き抜けるだけ。 私はこうして、定期的に地上へ出て、この惨状を目に焼き付けるようにしている。平和が蹂躙される悲しみや、人々の苦しみを忘れないように。そして、その憤りを強さに変えるために。そんな時は、独りであることが好ましい。強さは孤独を連れてくる。真の強さとは、切り立った崖の上にしかなく、そこには独りで行くしかない。もちろん、組織的な強さは必要だ。相手も群れで攻めてくる。計略を練り、連携を磨き、最大効率で迎え撃つべきだ。戦闘技術を培うために、たとえば『木星』など、訓練相手を求めることだってある。だが、最終的には個の強さがものを言う。そうした局面で負けないために、私は独りで、心身を研ぎ澄ます。 瞼を閉じ、風の音に耳を傾ける——敵の気配はない。ここ最近、ベルリン周辺のD2の動きは沈静化していた。だが、気を抜くわけにはいかない。D2の発生源と言われる黒夜隕鉄が発見されてから、四半世紀はゆうに過ぎた。それ以来、人類は撤退戦を強いられ続けてきた。全世界の主要都市は破壊され、人々は生きる場所を求めて散り散りになっていった。 「私に、もっと力があれば……」 独りつぶやき、拳を握りしめる。私は、『ワルキューレの騎行』のムジカート。ムジカートは、D2に対する唯一の対抗手段。そんな私に力さえあれば、これほど悲惨な街の姿を見ることはなかった。人々を苦しませることもなかった。つくづく、私が『ワルキューレ』の名を冠するとは、皮肉なものだと思う。ワルキューレとは、北欧神話に描かれる半神半人の女神で、“戦場で死者を選ぶ者”を意味する。つまり、戦場で“生きる者”と“死ぬ者”とを選別するわけだ。それは“勝利の女神”か。“死神”か。人によって、どちらにも見えただろう。私も同じだ。私に力があれば、戦局を変える“勝利の女神”となるだろう。だが、反対に無力なら、人々にとって忌まわしき“死神”だ。ならば、今の力無き私は、人々にとって……。 「強く——強くならなければ——」 砂利を踏み、当てもなく、ゆっくりと歩き出した。ムジカートの戦闘力を増大させるコンダクターが生まれてから、もう30年近くになる。それでも未だに、私はコンダクターとの関係をどう築けばいいのかわからない。コンダクターとの連携がうまくとれずに負けた戦いもある。腹立たしいが、自分だけさっさと逃げたコンダクターもいる。思い浮かぶのは、目の前で消えていったムジカートたちの姿。なぜだ。なぜ、私は、自分の力だけで人々を守れないのか。何がムジカートだ。何が“戦乙女”だ。私は、何のためにムジカートとしての人生を選んだんだ。 すると——風に乗って人々の声が聞こえてきた。さらに歩みを進めると、この荒廃したベルリンの街で、それでも営みを続けている人々の姿があった。 「おーい、どこかに木材余ってないか?」「うちのでよければやるよ!」 「ちょっと市場に買い出しに行ってくるよ」「お、一緒に行っていいか? ツリーの飾りがほしかったんだ」 「ねぇ、クリスマスには何が食べたい?」「何でもいいよ! ママが作ってくれたものなら!」 どこからか料理の匂いがした。きっと芋とキャベツを煮込んだものだ。とある壊れた軒先には、イチイで編まれた粗末なリースが飾られていた。人とは強いものだと、思い知らされる。かつての賑わいこそないが、それでもささやかに、歳事を祝う人々の営みは途絶えてはいない。 ムジカートに課せられた任務はシンフォニカを守ること。だが、シンフォニカの外にいる彼らを無視することは、私には出来ない。感謝されようが、されまいが、そんなことは関係ない。足元に落ちていたイチイの枝をそっと胸に飾り、私はまた街を歩き出す。すると、行き交う人々が私に声をかけるのだ。 「やあ、戦乙女。メリークリスマス」「姐さん、夕方には降り始めるらしいっすよ! この傘持っていってください!」「あっ、その枝。お揃いだ! わたしもほら、イチイの枝ー!」 緊張で強ばっていた自分の顔が、和らぐのがわかった。張りつめていた心の糸が解けていく。 孤独は、強さの必要条件だと私は考えている。だが、十分条件では決してない。なぜなら、強き者の中には、孤独ではない者がこんなにもいるのだから。 私は、最後の一人になっても守り抜こう。たとえコンダクターがいなくても、そこに守るべき人々がいるかぎり。私こそ、人類最後の砦。人々を平和に導く“勝利の女神”。  私は、彼らに、口慣れない挨拶を返した。 「メリークリスマス。明日も息災で」(原案:高羽 彩 小説:石原 宙 イラスト:緜)

キャラクター紹介PV